「はじまりに名前はまだない」

2022年4月8日(金)

大学の新歓って、正直どこか気だるくて、人見知りにはつらい儀式みたいなものだと思っていたけれど、今日の午後、あの教室で彼と話さなかったら、たぶん私は今も同じように思っていたはずだ。第一印象なんて本当にあてにならない。彼は最初、少し無愛想に見えた。笑っていても目が笑ってない感じがして、きっと話しかけづらい人なんだろうと思った。でも実際に話してみると、その無愛想さはただの不器用さで、それが少し、好きだった。

「この大学、意外と坂多いね」って彼が言ったとき、私はそれだけの言葉にちょっと救われた。共感って、こんなにもさりげなく訪れるものだったっけ。坂の話を皮切りに、気がつけば二人で、キャンパスのベンチで三十分も話していた。内容は取りとめもなかったのに、時間だけは不思議に密度を持って流れていった。

そうたくん。彼の名前を覚えたのは、その日の夜だった。友人づてに回ってきたLINEの新歓グループのスクショの中に、彼の名前を見つけた瞬間、私はなぜか、誰にも見られてないのに息を潜めた。なんでそんな風に反応してしまったのか、わからない。でも、きっと私は気づいていたんだと思う。何かが始まるときの、あのかすかな手触りに。

恋って、ドラマチックな音楽とともに訪れるわけじゃない。もっと静かに、もっと日常のざらつきの中に紛れてやってくる。そうたくんの笑い方や、時々ちょっと遠くを見てから言葉を選ぶような間合いに、私はもう、少しずつ惹かれ始めていた。それは「好きです」と口に出せるような感情ではまだなくて、どこかで自分の心が揺れているのを、こっそり見つめているような時間だった。

その夜、寝る前に日記を書こうと思ったのは久しぶりだった。春の夜はまだ肌寒くて、窓を少しだけ開けてみたら、遠くで誰かがギターを弾いている音が聞こえてきた。たぶん、どこかのサークルの誰かだ。何気ないその音が、妙に胸に残った。今日、彼と話した時間も、同じように心のどこかに残っていく気がした。

まだ何も始まっていないけど、何かが動き出している気配だけが、私の中でゆっくり膨らんでいる。そんな夜だった。

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