「触れたら壊れそうな距離感で」

2025年4月13日(日)

春の夕方は、時間の流れが不安定になる気がする。日差しが長く伸びて、空はまだ明るいのに、心はなぜか夜の入口に足をかけているような、そんな感じ。そうたくんと今日はふたりで、美術館へ行った。大学から歩いて20分くらいの、小さな現代アートの企画展。誰が誘ったわけでもなくて、「行ってみようか」という軽い会話の流れで決まったことだったのに、私は昨夜から少し緊張していて、着ていく服を何度も選び直した。

彼と並んで展示を見るとき、私は作品の意味よりも、そうたくんの視線がどこに向いているのかが気になって仕方がなかった。どの作品の前で少し長く立ち止まるのか、どんな色に反応するのか、言葉よりも、その「間」を読むことばかりしていた気がする。たぶん私は、恋をしているんだと思う。ただ、その感情に名前をつけてしまった瞬間、すべてが壊れてしまいそうで、まだ口に出せない。

帰り道、彼がふと「この前の話、まだ考えてた」と言った。あの、誰かを好きになる理由の話。私は思わず立ち止まりそうになって、でもそれを悟られたくなくて、歩幅を変えずに聞き返した。「で、わかったの?」そうたくんは少しだけ笑って、「全然。でも、考えてる時間がわりと好きかも」と答えた。そのとき私は思った。彼が何かを答えにしないでいられる人であることに、私は惹かれているのかもしれない。曖昧さを急いで輪郭に変えないで、そのまま抱えていられる強さ。そういう人を、私ははじめて好きになったのかもしれない。

バス停の前で別れるとき、少しだけ沈黙が長くなった。お互い何か言いかけて、結局何も言わなかった。私たちはまだ、ふたりで沈黙を共有することしかできない。でもそれが苦ではない。この「何も起きていない」が、私にはとても愛しい。

夜、自分の部屋で音楽をかけながら、今日のことを思い出していた。ふたりの間に流れる空気の温度や、話し声のテンポ、すれ違う手の近さ――そういう細部だけが、胸の中に何度も再生される。進展とは、きっと告白やキスや「付き合う」という言葉じゃない。ただ、ふたりの沈黙が少しずつ深くなっていくこと。その深さに、私は今、安心している。

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