2022年4月28日(木)
いつからか、同じ帰り道を歩くようになった。偶然が何度か重なったあと、もう「偶然」とは言えなくなってきて、けれどそれを「約束」と呼ぶにはまだ少し恥ずかしい、そんな不確かな関係の中で、私とそうたくんは、夕暮れの大学の坂を並んで下りていくのが当たり前になっていた。
今日は、講義が早めに終わって、ふたりで駅までの道をゆっくり歩いた。春の風が強くて、前髪が何度も顔にかかる。そうたくんは私より少し前を歩きながら、時々振り返って「大丈夫?」と笑う。私は「うん」とだけ答えながら、彼の背中を追いかけるように歩いた。たぶん、私はあの「振り返る」という動作に恋している。言葉ではなく、表情でもなく、そのさりげない行為の中に、彼のやさしさが染み込んでいる気がした。
途中の信号で、立ち止まったとき、ふたりとも黙って空を見上げた。雲が薄くのびて、夕陽がオレンジというより、桃色に近い光で街を染めていた。私は「きれいだね」と言って、彼は「きれいだね」と返した。同じ言葉が重なったことに気づいた瞬間、私はちょっと笑って、でもその笑いを隠すように下を向いた。彼も気づいていたかどうか、わからない。
駅の改札まであと少し、もうすぐふたりの時間が終わるとわかっているその数十メートルが、一番長く感じる。足取りは自然とゆっくりになる。なぜかその沈黙が、今日は重たくて、やさしくて、胸に残った。
改札の前で立ち止まる。彼は少し迷ったようにポケットからイヤホンを取り出して、「最近ハマってるバンドがあってさ、たぶんあかりちゃんも好きだと思う」と言って、片方を私に差し出した。私は何も言わずに受け取って、耳にあてた。音楽が流れた。やわらかくて、遠くを見つめるような声だった。
彼の選んだ音が、私の耳を通って、心に触れる。たぶん、彼はまだ何も言葉にしていない。でもこの瞬間、私は彼から何かを「もらった」と思った。音楽の向こう側にある、彼の感情の断片のようなもの。それは告白ではなかったけれど、たしかに「何か」が届いていた。
「じゃあね」って言葉のあと、彼が改札を抜けていくのを見送るとき、私はイヤホンを片方だけつけたまま、しばらく立ち尽くしていた。改札の音、足音、雑踏、いろんな音があるのに、私の中にはその曲だけが鳴っていた。
恋はまだ、言葉になっていない。でもそのぶん、記憶の中で長く残るのかもしれない。名前がつく前のこの時間が、あとになって一番切なく思い出されるのかもしれない。そう思ったら、今、この曖昧な日々がとても愛おしくなった。