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僕にはないもの。

夜が深くなると、いつもあなたの名前を思い出してしまう。声に出すわけでもなく、スマホに打ち込むわけでもなく、ただ心の中で呼ぶ。風がカーテンを揺らすたびに、あなたの笑い声が少し混ざって聴こえる気がする。たぶん、それはもう幻なのだろうけど、それでもいいと思っている。忘れたくないという願いは、いつも少しだけ未練の形をしている。

あの日、夕方の公園であなたが「もう少しだけ一緒にいたい」と言ったとき、僕は何も言えなかった。沈む太陽の光が、あなたの髪の中に沈み込んでいくのをただ見ていた。思えば、あの瞬間に、僕はあなたを失うことをわかっていたのかもしれない。恋は終わるとき、静かに時間の中に沈む。音もなく、ただ空気だけが変わるように。

あなたと別れた日、帰り道のコンビニで、あなたがよく飲んでいたミルクティーを買ってみた。冷たい缶を手に持つと、手のひらが少しだけ震えた。涙は出なかった。ただ、手の中の温度がどんどん失われていくのが怖かった。あのとき初めて、「もう二度と、あなたと同じ空気を吸うことはないかもしれない」と思った。世界が狭くなったような気がした。

それでも、不思議と悲しみよりも先に「ありがとう」が浮かんできた。あなたと過ごした季節が、僕の中に確かに存在していること。その事実が、誰に否定されなくても、僕だけの真実としてここにあること。それだけで十分だった。愛とは、所有ではなく、記憶の中で静かに灯り続けるものなのかもしれない。

恋の終わりは、悲しいだけじゃない。むしろ、そこから始まる新しい孤独の形がある。あなたがいなくなったあと、僕は自分の中の空白と話すようになった。帰り道の影と並んで歩きながら、自分自身に問いかける。「本当にあの人を愛していたのか?」と。そのたびに、心の奥から「うん」と答えが返ってくる。迷いも嘘もなく、ただ静かな肯定だけが残る。

季節が変わって、街の匂いも少しずつ違ってきた。コンビニのミルクティーも新しいパッケージになっていた。もうあなたのことを思い出さない日もある。でも、夜風が頬をなでるとき、ほんの少しだけ、あなたの髪の香りが蘇ることがある。たぶん、それは僕の心がまだあなたを許していない証拠なんだと思う。けれど、それでもいい。許せなくても、愛せることがあるのだと知った。

恋は、報われるかどうかよりも、その時間をどう生きたかで価値が決まる気がする。あなたを好きでいた時間は、間違いなく僕の人生の中で最も誠実だった。誰かを想うことで、こんなにも自分と向き合えるなんて知らなかった。あなたは僕に「愛するとは、祈ることだ」ということを教えてくれた。見返りを求めず、ただその人の幸せを願うということ。別れてなお、その祈りは続いている。

今夜もまた、窓を開けて風を通す。カーテンの向こうで街の灯りが滲む。遠くの信号の赤が、少しだけ優しく見える。あなたが今、どんな顔で笑っているのかはわからない。でも、どこかでちゃんと幸せであってほしい。僕の知らない場所で、僕が届かない時間の中で、それでもあなたが笑っていられたら、それでいい。たぶん、それが僕の愛のかたちだ。

夜風が部屋に入り込むたび、少しだけあなたの名前がほどけていく。もう、呼ばなくてもいいかもしれない。でも、心のどこかで、いつまでもあの声を覚えている自分がいる。それを「未練」と呼ぶのか、「優しさ」と呼ぶのかは、もうどうでもいい。どちらも僕の中で生きているのだから。

そして、明日の朝になったら、また新しい風が吹くだろう。
あなたを思い出すたびに痛んだ胸の奥が、少しずつやわらかくなっていく。
それがきっと、愛が終わっても残る「愛の続き」なんだと思う。

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